時代背景が生み出した資金のはなし

なぜ、日本には大企業及び銀行、信用金庫の経営者個人を資金提供する制度ができたかを検証してみたいと思います。


世間でも色々噂されていますが、第二次世界大戦で日本が敗戦したことが原因しています。また、日本が連合国(英米)との戦争をおこなったことによる資産凍結も関係しています。

日本は、第二次世界大戦が起こる前までは、英米とは友好関係でした。

簡単に言えば、戦争により戦勝国が敗戦国に対して、資産の接収をおこなうことは、国際法でも認められているということ。

しかし、日本の接収された資産は、まったく日本のために活用できなくなったのかといえば、それは違いました。

それは、預かり資産として、英米の銀行で運用保管されたことで、日本の戦後復興財源になったということです。

東洋の奇跡として日本が復興できた理由の一つとして、日本の接収された資産の運用益を活用して、資金を捻出して産業育成ができたといえます。過去に約200社の企業経営者が活用したということです。

日本の接収された資産といっても、これは、民間の個人資産が大部分だったということです。すなわち、日本を救った民間オーナーがいると言われる所以は、民間資産の接収により、その財源が英米の銀行で運用管理されたことが現在に至っています。

当時、民間資産が接収された資産は、膨大で当時の数千億円だったということです。その資産を70年以上長期運用されたことで、天文学的な運用資産が存在しているということになります。

この70年で上場平均株価だけでも数百倍以上高くなっています。また給料所得も月収は当時100円とか言う時代です。それに比べれば数千倍増えているわけです。

すなわち、はじめの、原資が巨額だったことも関係したことで、その運用益が数字上では、京を超える単位になってくるというのは、想像がつくと思います。

接収された資産ということで、管理されているために、運用益が巨額になっているからといって、自由に引き出すことができません。

そこで、国際ルールが決められました。もし、日本がこの接収資産の運用益を日本で活用したい場合には、「日本国籍を有する基幹産業の代表権者個人が使用するという目的のみ」この資金を動かすことを許可するというルールが決められました。

よって、もともとこの資産の持ち主である方は、管理銀行から資金を引き出せないようになりました。

しかし、資金の持ち主は、「基幹産業の経営者」から資金が資金調達をしたいという話があれば、英米の管理銀行に話をして資金を動かす許可を得ました。

その資金は、対象になる基幹産業の経営者から申請があった場合には、英国の銀行から日本の中央銀行を経由して指定都市銀行へと資金が移動されました。
その資金を動かすことに関しては、法的にコンプラチェックが必要とされることで、日本政府の司法機関が精査しました。

銀行経由で資金を提供された方は、管理者から資金を代理で預かるという形で契約したことから、「委譲渡資金」という名称で言われるようになりました。

この管理者から委譲渡された資金は、一旦、基幹産業の経営者の口座に入りますが、その後すぐに、分配され、口座主ご本人が産業の発展のために使う資金、日本国の財源、米国を始めG8関係国への財源として資金を分配する資金として分配されました。

そのプロセスを行うことで、管理者側にも財源が戻るようになりました。すなわち、この制度がなぜ民間によって行われているかの所以は、もともと民間からの財源であったことで、管理者からから資金が委譲渡されるということで、この制度をおこなっていることが関係しています。

日本で謎とされている大企業経営者の提供される返還不要の資金は、これは完全に民間人による財源であることが言えます。日米協定で行われた1954年のMSA協定における特別会計でかつて行われていた資金とは、別に存在している資金です。

日米英三国協定によって行われている資金ということになります。

第二次世界大戦以前の日本では、江戸時代から続く豪商である財閥や統治していた権力家系の財力は、予想を遥かに超える物がありました。すなわち、大政奉還され明治維新により明治政府ができるまでは、政府という存在なく、家系と豪商の協力により日本の社会、経済を回していました・現在とは全く違った社会システムでした。

第二次世界大戦前の日本と第二次世界大戦後の日本では、全く違う社会構造なりました。財閥解体が行われ農地改革など、日本の資産家の資産は、GHQの命を受け、奪われたことで、多くの資産家家系は、衰退することになりました。

1868年明治政府は、旧幕府から新しく生まれました政府でしたが、財力を持っていたわけでなく、財閥などの経済的協力を受けて明治、大正、昭和初期の社会を作ってきました。

日本は、第二次世界大戦前、1902年に日英同盟を結び、英国との関係を強化していました。その後、1904年日露戦争、1914年第一次世界大戦は、日本は戦勝国でした。昭和初期には、日本は、日米英仏が世界の四大経済大国と言われるようになりました。

日本は、明治維新以降、英国に学び資本主義経済の導入を急ぎました。英国は世界最古の銀行を設立し、東インド会社を設立し貿易立国、そして、産業革命を行い資本主義経済をリードしていました。金本位制度を導入して、市場に流通する紙幣も世界に先立ち導入しました。

日本は、英国式の資本主義経済を学びましたが、同時に日本は、金の産出国として世界でも有数な国であったことから、金本位制度を導入してた欧州の金融機関への金の貸し出しも行っていたということです。

(1914年~1918年)第一次世界大戦で敗戦国になったドイツは、イギリス、フランスから多額の賠償金を請求されたことで、その支払が困難になり、その資金をバックアップするために、1924年国際決済銀行 BISをスイスに設立しました。その支援(連邦準備制度)をするための日本の財源(金)を活用してことは、歴史的事実として知られています。

その後、1941年、日本は米英を中心とする連合軍と第二次世界大戦が始まったことで、米英は、日本の米英にある海外資産の凍結が行われました。簡単に言えば、この凍結資産は、日本の政府資産だけでなく、日本の江戸時代から続く権力者の資産家、豪商財閥における財源であったようです。

世間では、いろいろ本が出版され「天皇」の関係性を言われている作家がいますが、察するに、天皇家と時代の権力者は、婚姻関係により財源の管理者としてなられたようです。

そのような歴史的事実関係などを照らし合わせ、この企業育成資金と言われる制度がなぜできたのか?ということを考えていけば、「なるほど」と思う部分があるかと思います。

これは、明治維新以降の近代日本を目出した歴史であり、その結果、生じた過去の遺産になりますが、現在なおその遺産を活用する方法があるということは、筆者は素晴らしいことだと思っています。


ただ、その海外資産を動かすには、理由が必要だということです。
資金の移動許可、使用許可を頂くには、「東証一部、銀行、信用金庫の代表権者個人」の銀行口座を経由して資金を動かすことという規定があることです。

実は、答えを知ってしまえば、非常にシンプルな話です。

企業育成資金という言い方で呼ばれています。資金は確かに産業育成、社会貢献するための財源として活用できるために非常に重要な制度であります。

言い方を変えれば、「対象企業の代表者様にお願いします。日本経済を豊かにするために財源は、膨大な金額があります。ただ、資金をだすためには、動かす方の名義が需要になります。名義になるの基準が指定されていることで、この資金を自由に動かせなくなっています。ただ、名義になれる基準の方が承諾していただけると資金はいつでも動かせる制度です。」 ということになります。

この資金は、国際協定により、資金を動かせる名義人の基準を限定されていることで、巨額資金があっても簡単に活用できない理由になっています。

当然、この資金は、使用された資金の額面は、再度米英の銀行で運用され資金はもとに戻されますので、いくら使っても、額面は減ることがありません。

すなわち、現在、日本は、資金に永遠に困らない制度を持っているのです。

ただ、この制度に対していいように思っていない存在もあるようです。
やはり、あまりにいい制度があれば、それに反対する勢力も生まれてくるのでしょう。それを見極める必要があります。

最後にもう一度言います。この制度は現在も日本国内で行われている制度です。日本経済のV字回復には、この制度の導入が最もシンプルで、早く結果を生み出します。