国際決済銀行についての歴史について調べていると、このような一文があった『第二次世界大戦前、国際決済銀行に出資していた国の資産は、敵性資産として、没収され、米国司法長官の特別勘定として計上され、イングランド銀行に預託された。」
ということである。
日本国内にあった資産に関しても同様な事があったと思われる。正直公開されている資料はないが、連合国側と戦争し、日本の金融資産に関しても、敵性資産として扱われ、米国に接収されたということである。また、同時にイングランド銀行に信託されて運用しているということである。当然、仕組みは同じと言えるので、当時は、米国司法長官の管理下の特別勘定として資産を保管したと思われる。
また、敵性資産としての金融財産について、返還要請をしたが、米国大手金融機関の管理下であったので、残念したということである。
なぜ、戦後、米国金融機関により、日本への経済支援があったのか?それを考える上で、重要なポイントなります。すなわち、第二次世界大戦における連合国と戦ったドイツや、日本は、敵性資産として没収されたということである。それをブレトンウッズ体制下で、金ドル本位制度を推し進める米国連邦準備銀行は、IMF、世界銀行を設立して、第二次世界大戦後の世界を形成するための金融政策をおこなったと言うことは知られています。
日本にも、米国政府の援助として世界銀行からの融資によって、日本の基幹産業、インフラ設備への資金投入がされ、戦後日本の経済復興は、米国からの補助金と米国金融機関から支援によって成し遂げたことが言えます。
これを考える上でも、日本の敵性資産として没収した資産を米国金融機関によって管理され、イングランド銀行は、信託されることで、資産運用したものと言える。
企業育成資金の財源についても、財源は、米国に接収された日本の敵性資産として管理下に置かれ、イングランド銀行により信託され運用された資金を日本銀行に送金しているということである。すなわち、戦前にあった日本の敵性資産に関しては、米国金融機関により保管され、イングランド銀行に預託(信託)して運用して、戦後の復興財源に活用したと言えるのです。
敵性資産に関しては、米国司法長官の管理資産として特別勘定とするということを謳っているので、日本の敵性資産に関しては、米国政府における法的管理をすることで、資産管理を行ったと言えます。
日本国内において、育成資金を申請に関しては、法務省や最高裁判所の許可を取ることになっていますが、これも司法による審査を行っていることになります。日本の敵性資産に関しては、米国政府による法的管理をすることで、資産を保全して、資金を動かす場合には、法的手続きをすることで、資金が動かせる仕組みになっていることが理解できます。
いずれにしろ、条件を満たせば資金を動かせるという戦前からある日本の敵性資産扱いされている巨額な財源は、PPP運用されて何十京円という単位まで運用益が増えています。日本の東証一部資本金100億円以上、銀行、信用金庫の預金高5000億円以上の代表権者に配るための配当金がありますので、受取人が少なければ、これだけ巨額に運用している資金があったても意味がないことになります。
米国における司法長官による特別勘定としての資産、すなわち、米国の法的管理された日本の敵性財産は、もうだれのものでもありません。唯一、資金を受け取れるのは、代表者利益の配当金を受け取れる立場の方です。
ですから、なにもしなければ、もったいないと言えるのです。目の前に、配当できるお金が山積みしているのに、だれも取りに来ないでは、意味がありません。法的管理された資産ですから、だれのものでもありません。