セントラルバンクとはどうやって出来たのか?歴史を知れば理由がわかる。

今、渋沢栄一のテレビドラマを放映しているので、銀行の歴史というものが理解できるかと思います。昨日のドラマの中で、銀行家と軍人が一緒にいるという話がありましたが、これは、欧州における銀行の歴史であります。特に欧州を代表する銀行家であるロスチャイルド家は、もともとは、傭兵を派遣するビジネスを手掛けていました。傭兵といううのは、軍人を金銭で雇い戦闘要員を各国の紛争に派遣するするビジネスです。

欧州では、各地で小競り合いが絶えず行なっていましたので、その土地の領主は、近隣との紛争に対して、お金を出して傭兵を雇い、近隣諸国との紛争に対応していました。すなわち、セキュリティーをカネで依頼していたことになります。

当時の金といっても、紙幣などまったく価値のないものでしたので、当然、金銀財宝というものでの支払いになっていました。

傭兵ビジネスを手掛けていたロスチャイルド家は、欧州各国の王族などとの人脈を傭兵ビジネスで作ると、つぎに、王族や貴族のもっている金銀財宝の資産を保護するビジネスに手を出します。

「あなたの金銀財宝が略奪されれば大変ですから、私達が守りましょう」

すなわち、傭兵を派遣しているビジネスを手掛けているファミリーが、今度は、安全に資産保管をするという銀行ビジネスを始めたのです。

それで、金銀財宝を欧州の王族や貴族が銀行家(傭兵派遣会社)に預けるようになり、その預かり書が銀行券になったのです。

金兌換券というのは、紙幣の始まりですが、銀行からの預かり書が、銀行券となり、銀行に金を預ければ、銀行から、金の預かり書として、金兌換券を頂き、その現物の金を持っていれば、危ないということで、金兌換券をもって取引がされるようになりました。それが紙幣の始まりです。

紙幣は、はじめは金との交換を約束されていましたが、そのうち、銀行が、裏付けの金がないのに、金兌換券だけを大量に発行するようになりました。その結果、幾度となく銀行は発行した金兌換券を現物の金を交換できなくなり、銀行の信用が失われることなります。

これが、セントラルバンクの歴史のスタートです。

そのために、セントラルバンクにとっての金は、重要であり、金の略奪ということを始めるようになります。これがセントラルバンクと戦争の歴史です。もともと傭兵派遣会社ですから、戦争をすることがビジネスであったからです。

銀行と軍人というのは、まさに一体化したビジネス出会ったことが言えます。これは、欧州における銀行の歴史になります。

日本とは随分様相がちがうことで、銀行と軍人というのが、同じ関係7日?と言いたくなるかも知れませんが、傭兵派遣会社が銀行になりセントラルバンク(中央銀行)として通貨(金兌換券)を発行するようになったので、同じライン上の存在であったことが言えます。これは、19世紀には、普通の話でした。

渋沢栄一の時代は、まさにその様な時代ですから、欧州に渋沢栄一らが、近代国家のシステムについて学んだ際には、資本主義経済における銀行システムは、銀行と軍人、そして、略奪による覇権争い。ということを目にしてきたのです。

よって、明治以降の近代化は、富国強兵ということで急激な軍備拡大と近代化を推し進め、同時に銀行の設立と急いだこと理由が理解できます。

欧州では、植民地政策の覇権争い各国で行われていました。すなわち、略奪することは、時代の流れだったのです。日本も何もしなければ、完全に全てを取られてしまうと考えた明治以降のリーダーは、富国強兵を目指して、近代化、軍事化を推し進めたことが言えます。

その影には、経済の発展というものが有りましたが、銀行家の野望というものがあったことが言えます。世界で頂点を極めるには、世界で一番多くの金を集められたものが勝者になるという考えが生まれるのです。

世界中の金を集めたものが、一番多くの銀行券を発行できるという理論になりますので、銀行における勝者は、略奪をしてでも金をたくさんもったものが世界を制すると考えたのは当然のことです。

一国ではとてもまかないきれないということで、連邦準備制度をつくり、数カ国でグループを作り、金の獲得をするようになったのです。最後は、世界大戦へと導き積極的な金の略奪を行い、最終的に世界の覇権を握ったのが、最大の軍事国である米国が世界中の金を連邦準備銀行に集め、ブレトンウッズ体制により、アメリカドルのみが、唯一、金と交換できる通貨である。金ドル本位制度がスタートしたわけです。それは、1944年のことです。その後、1945年に日本は戦争に敗退し、1951年には、サンフランシスコ講和条約に調印するに対して、日本の金資産を放棄することで、世界の金の略奪競争は終局しました。その後20年でニクソンショックにおいて、ドルは金と交換できないということで、デフォルトをして、信用創造による通貨の発行ということになりました。

実際には、1978年で完全に信用創造による銀行券の発行ということになりましたので、それからたった40数年しか経っていません。

しかし、連邦準備制度における金は、現在もなお担保されていることで、基軸通貨としての米ドルが存在しているですが、今は、その国の生産性が高いことが通貨の価値を決め、同時に外貨を持つことで、その国の通貨価値を保てるという考え方で、通貨価値を保つようにしています。

ここで、育成資金の話になりますが、育成資金は、40数年前に信用創造に通貨の発行理論を変えましたが、その前の金ドル本位制度の時代おける連邦準備制度成立時の金の保有率が関係して、それに対しての配当金が日本の産業支援のための財源として、セントラルバンクのシステムによって運用された資金を日本銀行に送金されています。

日本及び関係5カ国という話を前回のブログでも書きましたが、1930年にスイスのバーゼルにつくったはじめの連邦準備制度である国際決済銀行に関係していた国です。

日本及び関係5カ国によって、育成資金の財源から資金を分配する制度を今でも続けていることになります。

MSA総合研究所より