MSA 総合研究所です。
歴史的資産についていろいろ 研究していけば 非常に興味深い話を耳にすることがあります。
色々な方とお会いする機会をいただきますので この歴史的資産について 過去に研究された方ともお会いする機会もいただきました。
今回は 海外で 歴史的資産についての本を出版したという方のご家族から情報をいただきました。
歴史的資産というものの大部分は実際の話を言えば 旧日本軍がフィリピンの178箇所にある地下壕に保管した金塊が主たるものだと言えます。
1971年にこのゴールドについての事実が理解され 世界は大きく変わりました
すなわち 世界の通貨システムが金を主体とする 金本位制度から信用創造と変動相場という仕組みに大きく変更した時期になります。
その理由は 1944年の ブレトンウッズ体制におけるアメリカが保有する金が世界最大の保有国であるということを説明していたのですが 1971年にフィリピンで見つかった金塊の量があまりにも多すぎるということで この事実が広まると世界の金融システムに大きく影響を与えるということで この存在を隠すことになりました。
これが歴史的資産が非公開になった1番の原因であります すなわちこのフィリピンの金塊というものは 日本で言うところの山下財宝と言われている 金塊になります。
実際 詳細の数字は分かりませんが 数百万トン あったと言われています。
それまではアメリカが持っているのが12万トンぐらいの金塊であるという風に言われていましたので それよりもはるかに多いものが フィリピンの山の中で見つかったということが当時 世界に広まれば完全に 世界の 金に関するルールが壊れてしまうということが言えましたので そこは 非公開にされたと言えます。
すなわち 金とお金の紐付きをやめて 変動相場制にしたというのが あまりにも旧日本軍が隠した金塊が多すぎたことで 通貨のシステムが変わってしまったと言えます。
この金塊の使い方について長年 協議されてその後生まれたのが30年間償還 システムと言われる ブロック ファンドシステム一時期はこの仕組みによって日本の企業育成資金の財源が提供されましたが この仕組み も 2012年の監査を終えて 一応 終わりになっています。
それ以降に関しては金塊に関して UCC 統一商法による担保設定をして金のクレジットを発行するという方法で資金が作られるようになっています。
この話はよく 筆者が説明しているアメリカのニューヨーク国務省に金の skr を 担保設定をし アメリカドルのゴールドクレジットを発行するという方法で資金を生み出すということを行っています。
つまり 日本の企業育成資金が なぜできたか という理由はこれは 実はフィリピンの金塊が非常に関係をしています。
日本が主にゴールドを保管した場所としては インドネシアのスマトラ島とフィリピンになります。
これをちょっと考えてもらえばわかると思いますがインドネシアは当時 ポルトガルでした そしてフィリピンに関しては これは当時はアメリカ領でした そのようなところになぜ日本軍は金を保管したのでしょうか。
それは日本が 工業化をする上で石油が非常に必要になったと言えますが 当時の石油を輸入する場所としては インドネシアの原油を購入していたと言えます
日本はインドネシアとの航路を守るために フィリピンとインドネシアに 金塊を保管したと言えます。
これは シーラインを守るという意味があったと言えます。
しかし 日本が金を保管して行ったのですが最終的に 太平洋戦争になったということは裏側ではやはり 圧力が日本にかかったことで日本もその状況が我慢できなくなり 戦争に持ち込まれた とも言えます。
この歴史的な事実 ゴールドと戦争ということはあまり 歴史的には語られませんが 実際のことを言えば 日本のエネルギー問題とフィリピンとインドネシアの金塊というものは非常に密接に関係があったと言えます。
第2次世界大戦におけるエネルギー確保すなわち 石油の確保というところで 日本は非常に苦労したと言えます。
なぜ南洋 諸島に日本が出て行ったかと言うとエネルギー確保をするということが非常に大きく影響しています。
当時の貿易決済を行うのは全てゴールドを用いて行ってきましたので ゴールドの担保力がなければ仕入れることもできませんでしたから日本はフィリピンとインドネシアにゴールド保管したと言えます。
これらのゴールドが実は世界経済を支えるための歴史的資産として大きく 活用されている事実は日本ではあまり知られておりませんが これが国連が管理している歴史的資産の主たる財源だと言えます。
筆者はなぜこのような話をしているかというのは何度も説明はしていますが 日本は国連から見た時に連合軍の敗戦 国になっています。
つまり 80年近く過ぎていますが現在も戦争で負けた国だということで 敵国条項として安全保障 面で監視されていると言えます。
この基本的なことを理解できなければ日本は今 独立国で日本独自のやり方で日本は復活できるなどと説明している人はいますがそれは大きな間違いです。
日本は安全保障 面における監視対象国になっていますので 見た目の自由はありますが 実際に言うと連合国から 監視されている対象国です。
従って安全保障という問題は日本が独自に勝手に決められる問題ではなく 安全保障における経済的安全保障 すなわち 通貨をコントロールするという分野においても日本は完全にコントロール 下にあると言えます。
ことが理解できなければ日本の失われた30年からの復活などありえません。
最近は日本は独立国なので日本を取り戻せなどと意味不明なことを言っている人たちも増えていますが 日本に置かれる仕組みというのは現在もなお 昔の55年体制 などと言われている時代から何も変わっていません。
日本国憲法に関しては 1946年に GHQ が作ってから基本的に何も 憲法を変えていませんから これは完全に GHQ が支配しやすい仕組みで安全保障の仕組みが行われていると言えます。
これがいいとか悪いとかという話をしているのではなく簡単に言えば 監視されているのですから監視している人に対してお金くださいと言わないと残念ながら 日本はお金をもらう 以外 経済を成長させる方法がないということに気づかなければいけません。
日本政府の子会社は日本銀行になるので 日本はお金の心配がないというような説明をした政治家もいましたが 現実問題はそういう問題ではないと言えます。
すなわち 通貨コントロールという部分安全保障という問題は同じ土俵の問題になりますので この問題を解決しようと思えば 監視している国連 すなわち 連合国の安全保障を監視している部門に対して お金出してもいいですか という お伺いを立てて資金をもらうということをしなければ日本の経済復興ができないというのが答えです。
すなわち なぜ 筆者が企業育成資金の仕組みが重要かというのは 企業育成資金の資金というのは日本を敵国条項として監視している国連が持っている歴史的資産によって資金が提供される仕組み だからです。
このことを 日本人は理解しなければ日本の経済復興 などはありえません。
筆者は失われた30年 と呼ばれる 経済が衰退し 日本国が豊かでなくなっていた 原因について調べていますが 結論として 国家の努力だけで金持ちになることなどありえません これは 国連が管理した歴史的資産から資金がどれだけ投入されるかによって その国の発展 具合が決まります。
特に 西側諸国の国は全てこの制度に強く影響を受けていますので この仕組みから資金を提供を受けない限り 国家の反映などありえません これはいくら 日本の財務省や政治家が頑張ってもクリアできない問題なのです。
1990年代から現在における約30年以上の時間 日本でも 経済発展について色々言われましたが 全く 所得が増えないということはそれを証明しています。
すなわち 歴史的資産 簡単に言えば 日本を監視している国連管理された資産から日本に対して資金が投入されなければ日本の発展はできないという結論であると理解してください。
日本が復興するための手段としては歴史的資産と呼ばれる 旧日本軍がフィリピンやインドネシアのスマトラ島に保管したゴールドを使った金準備銀行グループが行う資金提供のサービスを活用しない限り 日本国の国家の繁栄などは100%無理だと言えます。
この事実について理解をし筆者が書いているブログの内容をしっかり理解していただければ 今日の失われた30年というような経済的停滞の問題は解決していきます。