金本位制度とMSA資金との関係

通貨の原則は、「金本位制度」になります。金兌換券が紙幣としての役割がありました。金兌換券とは、金兌換券を持っているいれば、いつでも換金所にいけば、現物の金と交換できるという交換券のことを言います。

 

19世紀中盤から産業革命が起こり、資本主義経済の発展と同時に、紙幣のどんどん流通していきます。しかし、経済の発展をするには紙幣を発行する必要がありますが、紙幣を発行するには、金の裏付けがなければ、紙幣を発行ができないということがあり、市場経済の拡大とともに、金本位制度が維持できなくなり、そのたびに社会不安、経済不安を巻き起こし、戦乱へと導かれる歴史があります。第一次世界大戦の原因も金本位制度を世界ではじめて導入した英国が、金本位制度から離脱したことで、社会不安と混乱を招き戦乱へと導かれました。

 

現在は、それぞれの国の外貨を持つことで、貨幣の価値をたもっていますが、やはり、今から100年ほど前は、紙幣は、金との裏付けがなければ通貨としての価値を見出さないという概念が強く貨幣価値を保つことができなかったことが言えます。第一次世界大戦前までは、イギリスのポンドが産業革命を後の世界の資本主義経済をけん引していたこともあり、ある意味、当時の世界機軸通貨の役目を果たしていました。

 

第一次世界大戦後、世界経済安定に向けて、再度、金本位制に制度を戻そうとしました。世界は、ゴールドをいかに獲得するかという問題に直面していました。

 

通貨保全のための金がなくなれば、経済不安が増し、戦乱になるという構図が出来上がっていました。

ここで、日本の金保有高が世界の目にとまったのでしょう。

第一次世界大戦後の世界を作るための協定が1921年にロンドンで結ばれました。日本、イギリス、フランス、米国の4か国で同意されたことがありました。
「国家間の協定:金委員会 The 1921 ACT – Pact Between Nations: Gold Commission」と呼ばれました。目的は、連邦準備制度を導入すること・ドイツが戦争を行っていたので資金提供を目的にしていました。その国家間協定を結ばれてから、日本は、日本の保有金をフィリピン(当時米国領)とインドネシア(当時オランダ領)に保管しました。1924年から1945年にかけてその作業は行われました。

1921年12月には、ワシントンにて、日米英仏の四カ国条約が結ばれています。その際に、日英同盟の破棄され新たなアジア太平洋地域における同盟国同士、領土拡大競争を行わないで、お互い尊重するという同盟が結ばれています。

 

しかし、ワシントン会議では、米国からの日本への軍縮を言われ、その後、軍部の反感が高まり、満州事変を期に国際連盟を脱退し、その後、連合国からの経済制裁を受けることで、日本は、南下作戦を余技なくされた。当時、石油の7割程度を米国に頼っていたこともあり、石油がなければなにもできないということで、米国の制裁に対抗するために太平洋戦争に突入することになります。真珠湾攻撃、その後ミッドウエイの開戦後、日本の戦局は厳しくなり、日本全土に大空襲を受け、日本全国焼け野原になり、壊滅状態になり敗戦したことは、皆さんが知ることろです。

 

さて、戦後復興財源の話をするときに、ゴールドの話が良く出てきます。その際に有名な話が、山下財宝などといわれる陸軍がゴールドをフィリピンに隠していたという話があるかと思いますが、どうやら、そのきっかけになったのは、1921年に日米英仏の国家間の協定:金委員会 の際に取り決めがあり、日本の金をフィリピンと、インドネシアに保管する作業を進めていたことが関係しているのでしょう。もともとは、世界経済を支えるゴールド(金本位制度の担保)=連邦準備制度を整備したいということでしたが、世界情勢の変化で、結局は戦乱となり、日本はエネルギー問題があったことで、南方攻略をしなければならないということで、南洋諸島が拠点となったこともあり、日本の金が隔離して保管されたのでしょう。

 

その後、南洋諸島などに保管していた日本の金は、国連(連合軍)における管理下に置かれることになり、その金がもとになり復興財源として活用されたという話です。確かに、前のブログで、日本の4人の男が、米国のGHQ最高司令官マッカーサー元帥に対して、直談判して、食料と資金を援助してほしい訴えたことがありました。終戦後、日本にあった金やダイヤモンドなどを進駐軍が持ち帰ったのではないかということで、それを追求するための国会審議になったことがあり、米国に対して返還運動がおこったそうです。その結果、日本のゴールドは返還することはしないが、ゴールドを担保にして現金化したものを援助するという話になったということです。それが、1948年に日米英三国同盟による「相互防衛援助協定に基づく国際運用金」 

国連決議 MISA81704 による日本に対する支援金制度です。

これがよく言われる「長期管理権委譲渡資金」の始まりということ。

 

第二次世界大戦中に米国で第二次世界大戦後の復興計画がすでに進んでいました。1944年「ブレトン・ウッズ協定」がアメリカのニューハンプシャー州で44カ国が集まり、国際会議が開かれました。国際通貨基金協定 国際復興開発銀行協定がむすばれ、1オンスの金をUS35ドルの固定レートにして、「金・ドル本位制度」がはじまり、米国が世界の基軸通貨としてドルが君臨することになりました。また、日本もドルとの交換レートについて、1ドル=360円固定レートが決まり、1971年 ブレトン・ウッズ協定が破たんする原因であるニクソンショックが起こるまで継続されました。

 

日本は、MISA81704「相互防衛援助協定に基づく国際運用金」の財源になるゴールの多くを没収された国ということで、そこからの運用財源の使用権を認めれたことで、その財源を活用して日本の復興財源として大きな産業補助金が提供できるようになりました。

 

その後、1954年日米相互防衛援助協定=MSA協定が締結され、今の形のMSA協定からの補助金制度が出来上がりました。

そのことにより、戦後の高度成長を見せた日本のことを「東洋の奇跡」と世界経済史で称賛されたという話になります。

 

これは、歴史的な流れです。日本は世界の金本位制度でゴールド獲得競争に巻き込まれ戦乱に引きずり込まれたことは否めないかもしれませんが、日本には良質な金があり、それを、長年保管していたことで、その金は、手元に戻っては来ていませんが、日本のゴールドも世界経済を根本を支える裏付けになる金として活躍をしたことを考えれば、その恩恵を受けて経済復興できたことは、よかったと思うことが大切かと思います。

 

また、米英の管理下で現在もMSA資金は産業補助金制度が99年の契約で行われていますが、活用する人を増やし、せっかくある日本の財源をフルに活用して、日本経済の復活につなげられればと思い、このブログで情報を発信しています。