知らない世界の話をされると人は、疑心暗鬼になる。それは、当然のことである。知らないという世界は、否定することで、その世界から自らを守ろうとするからである。隣町に行ったことのない人が、隣町のことを聞いても、「あんなところ行っても意味がないよ」という話をして、自分が隣町にいったことがないことを肯定する話をするのである。
人というものは、心の器によって、判断基準が決まります。好奇心や冒険心がない人に、見えない世界、見たこともない世界の話をしても興味を持たない。場合によっては、「あなた、頭悪いんじゃない」と否定されます。すなわち、器を超える話をされると自己防衛するという精神が人の心の中にわいてきます。
すなわち、この話も同じことです。この資金の運用について言えば、公開された株式市場などの運用ではなく、クローズされた市場でのトレードであり、運用益は、コンピューターのデーターとして見ることができるが、現金化される前の運用益の数字を見ても、人は、そんなマネーが存在するのか?ということを言いたくなります。そうです。もし、大型トラック何千台に積まれた現金を見れば、すごい資金があるとひと目でわかるでしょう。
確認できなければ、信じられないという事を言う人がいますが、どんなこともそうですが、確認をいくらしても見えないものは確認しようがないということです。すなわち、確認するには、実際にこの資金の話で言えば、送金を実行して、その送金データーをもとに通貨を発行して初めて資金が確認できるのです。すなわち、作業を行わない限り、何もないのと同じことになります。
ですから、この送金の制度が理解するのは難しいのです。
しかも、日本国内で運用されている資金でなく、遠い外国で行われている作業と聞けば、なおさらそんな物があるのか?という話になるでしょう。それは、金融システムによって、生み出される資金であるということです。すなわち、生み出すための作業を銀行運用システムと運用会社、送金を担当する銀行、通貨を発行する銀行、それを許可する国の関係組織などの作業が行わない限り、何もないのと同じです。
本案件に関しては、Receiver(受取人)が出てくれば、資金が生み出されるという話を説明しています。すなわち、Receiverが出てこなければ、永遠になにもないのと同じことです。ただ、Receiverが出てくれば、巨額な資金が動く仕組みがあるだけの話です。