Mと言われる違和感・・・神の国ニッポン

筆者は、文章を書くときに、しばらく目を閉じて瞑想をしてから何を文章を書くかイメージしてから、文章を一気にかきあげます。そのとき、浮かんだんインスピレーションを文字にして皆さんに情報を伝えています。MSA資金についての基本的情報を伝えるだけでは、非常に短い文面だけで終わってしまいます。しかし、何百回も似た話題で書き続けるには、それなりのストーリー性がなければ、文章を書くことが出来ません。

今日は、頭に浮かんだ話題がありました。

マッカーサーの怒り」という文字です。

償還制度、MSA資金など、世間ではこの事実を知らない人を、「M資金」という名で呼びます。その名の由来は、マッカーサー最高司令官の頭文字Mをとったものだという噂があり、どこからそうなったのかは不明であるが、機密資金、GHQマッカーサーなどというと、非常に伺わしい話しだ。という日本での風潮になっています。

もう、マッカーサー最高司令官は、この世にいませんが、もし、生きていたら、今の世の中の噂を聞いてこう話をするでしょう。

 

「確かに、日本とは任務として戦争を行った。日本の占領政策において、私は最高司令官として業務遂行した。戦後まもなく、4人の日本人が、私の事務所に来て、日本人の食糧難と、経済援助を強く訴えた。皇居の前では、食糧難で米騒動があったのは、知っている。焼け野原になり、復興するための財源が必要なのは、十分理解していた。だから、日本人の食料支援と、経済支援の申し入れを聞き入れた。しかし、私は軍人であるので、支援に関しては、本国との調整が必要である。よって、紹介状を書き、手渡し、彼ら、4人の日本人は渡米し、米国の国務省に行くように話をした。その結果、食糧支援と、経済援助をスタートさせた。しかし、今、日本では、私の名前が出てくれば、これは、デタラメなM資金だ。とメディアなどで報道される。これでは、私が行った行為は、精一杯の誠意だったが、現在の評価は残念で仕方ない。死んでも死にきれない苦しい境地にある。」

と言っているように感じた。霊言ではないが、そんなイメージがした。

MSA資金について、正しい理解をすることが、そのようなこの資金をつくった関係者の心情であろう。

 

アメリカから日本への援助は行うが、その条件として、天皇陛下が保証するということを認めることで、実行するというアメリカの意味をも理解する必要がある。

「その時、歴史が動いた!」

 

歴史はさかのぼり、20世紀初頭、1902年日本は、英国と日英同盟を結ぶ、日本は、当時最強だと言われた大英帝国との同盟関係を結ぶことで、日本の世界的地位は非常に高まったと日本人も誇りに思った。その後、英国の助けもあり、1904年 大国ロシア帝国との戦争に勝利、日露戦争での勝利は、日本人に強い印象を与えた。そのあたりから、日本が世界の強大国仲間入りしたことで、世界的な責任を果たすという動きも強くなる。1914年、第一次世界大戦が勃発する。4年間に及んだ、戦争の結果、イギリスとフランスは、米国から多額の借り入れを行い戦争をおこなった。また、戦争に負けたドイツは、イギリス、フランスに天文学的な戦後賠償を請求される。 実は、この構図が、日本の今後の運命を決めることになる。

1921年 日本はロンドンにて、イギリス、フランス、アメリカ、日本の4カ国国家間会議、金委員会を開催する。日本は、金保有高の高い国であるので、金の連邦準備制度を用いることで、通貨の安定を図ろうという提案がなされた。また、ドイツの戦後賠償の金額が多額であったので、それを返済するための通貨を発行する必要があったが、裏付けする金がないことで、その部分で経済支援を求められたのだろう。その後、日英同盟は、破棄され、同年に4カ国同盟を結ぶことになる。イギリス、フランス、アメリカ、日本の4カ国で同盟を結んだ。その同名の内容は、お互い、植民地の拡大をしない。また、ブロック経済(植民地と管理国のみで行う経済圏)をせず、自由貿易の拡大をすることを条件とすることにした。

そのことにより、平和な世界を形成することを目的に世界は動き出した。その後、秘密裏に日本の金は、フィリピン(旧アメリカ領)、インドネシア(旧オランダ領)に移動したという資料が残っている。1924年から1945年の間に日本人が金を移したと記載されている記事を見た。それが、陸軍で言う山下財宝などと言われるものである。また別名、天皇の金塊と言われるものである。時期から考察すれば、この金は、世界経済平和を考えた連邦準備制度に備えた金出ないかと思っている。同時に、第一次世界大戦で敗戦したドイツの戦後賠償金の支払いができないための救済処置をするための金の裏付けを貸すためではないかと察する。その組織は、正式には、1930年、スイスのバーゼルで誕生した。BIS 国際決済銀行である。国際決済銀行の目的は、ドイツの賠償金の支払いが進まないことで、その賠償金を支援する組織として作られた。日本も1930年当時、大国としての地位にあり、BISに出資することになる。しかし、現実は、ドイツの賠償金があまりに巨大であったので、支払いが出来ないという問題は解決出来なかった。そして、その苦しみから、ドイツは、ヒットラーを中心として、ファシスト政権が生まれていくことになる。すなわち、第一次世界大戦での賠償ができる状況ではないので、我慢の限界が来たということで、労働者が立ち上がったのである。

その結果、ヨーロッパで開戦し、ナチスによるユダヤ人を狙った攻撃が始まった。すなわち、イギリス、フランスへの戦後賠償への苦しみが、金融業界にちからがあったユダヤ人を標的にしたのだろう。

その後、アメリカが同盟国であるイギリス、フランスに対して、軍備物資を送った。その結果、ドイツは、敗戦する結果になる。

日本は、1930年代後半になれば、米国に頼っていたいエネルギーが経済封鎖により調達が難しくなっていた。当時は、インドネシアにある石油に日本は頼っていたので、南洋からの石油がなければ、日本は、完全に止まってします。それを打開するには、南洋に行くシーレインの確保が重要になる。ここは想像になるのであるが、日本は、1921年に米英仏日の4各国によりドイツ救済と世界経済の安定のための連邦準備制度のために日本の金を貸し出すということを約束しているはずである。そのために、アメリカ領であるフィリピン、オランダ領であるインドネシアに日本の金を動かしたということが言われている。

日本にとって、経済の安定のためにおこなっていたので、将来的にわたって、米英仏都の関係で厳しい局面になるとは考えていなかったのかもしれない。日本はあくまで、連邦準備制度とドイツ救済という目的で日本の金は、金輸出を許可したということになる。

しかし、戦乱の結果、当時の指導者は、過去の取り決めなどは関係なく、戦乱時ということで、その制度が崩壊していったのであろう。その結果、突如、本来は、連合国側だった日本が、救済をしていたドイツと1940年に手を組むことになる。その後、日独伊三国間同盟である。その結果、日本はファシズムという位置づけになる。

そして、日本が米国と開戦するきっかけになったという「ハル・ノート」があります。

ハル・ノートとは、開戦(1941年12月8日)直前の11月、アメリカが日本に提示した提案で、交渉のアメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官の名前から名づけられたもので、内容は「中国及びインドシナからの日本軍の即時撤兵」などを求めたものだ。

 

その結果、日本は、米国との開戦になる。そして、3年8ヶ月ほどの戦いで、多くの犠牲を出し、日本全国は焼け野原になり敗戦した。

日本は、第二次世界大戦後、敗戦国として、戦後賠償問題が浮上する。その中で、BIS国際決済銀行における日本の資産を没収をイングランド銀行が唱えた。かつて、ドイツの賠償金支払いをすすめるために日本が支援した機関である。BIS国際決済銀行の資産は、株、現金などを合わせれば、日独の持ち分は、33%に達していたということである。当時の資料では、以下のように書かれている。

 

BIS の当時に発行済み株式におき敵性資産にあたる日独のシェアは22.8%であった。ここへ預け入れ最低限度預金を加えると33.8%に達した。また、ヤング案によるBIS の対独資産は2億9116万スイス金フランであり、1945年度のBIS 総資産額の64.5%にのぼった[9]。1948年2月、米国のジョン・スナイダーが上院外交委員長に向けて、欧州側の民間資本も凍結解除して復興に振り向けさせるべきと書き送っている

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%B1%BA%E6%B8%88%E9%8A%80%E8%A1%8C

 

米国で始まった戦後賠償を強く求めるよりも、産業投資を積極的に行い産業発展を優先させたほうが、米国の多国籍企業にとって価値があるというロビー活動が始まった。

その存在が、「アメリカ対日協議会」である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%AF%BE%E6%97%A5%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A

 

親日派アメリカロビーがいたことで、日本は、植民地化することと、多額の戦後賠償金を請求されることなく、逆に経済援助を受けて、日本の産業を発展させることが出来たといえる。

確かに、失ったものは、BISにおける戦前に投資していた資産、および、海外に移転した金塊などがある。しかし、本来は、連邦準備制度を考え、第一次世界大戦の戦後復興財源のために支援に考えていた金であった。しかし、日本も戦争になり、没収はされたが、その財源があったことで、BIS経由で日本に資金の援助がなされた。それが、「長期管理権委譲渡資金」と言われる補助金であった。

1952年には、MSA協定を日米で結んだことで、MSA資金を設定して、世界銀行からの借り入れを行いプロジェクト資金を日本に融資する案件も多数行われた。

世界銀行から借り受けた資金に関しては、30年ほどの長期返済をおこなった。全額返済したのは、1990年であったと記録されている。また、無償援助されたBISで決済された資金に関しては、多数の企業がこの資金により戦後の発展に活用された。

 

日本は、第二次世界大戦は、米国との戦いであったが、大きな戦後賠償を受けることがなかったのは、過去に日本が連邦準備制度を考えて海外に準備したゴールド現金があったこと。そして、米国で日本に対して戦後賠償を求めるより工業化を勧めたほうがいいという米国産業界からのロビー活動があったことが、日本にMSA資金という補助金制度をつくることになった。

その影には、凍結された日本の財産(天皇)及び、アメリカに日本の救済を求めた4人の勇者、そして、一説には、杉原千畝という日本人外交官の命を救うビザが影響したという説がある。戦前1940年リトアニアに駐在していた外交官、杉原千畝氏が、ドイツ軍の攻撃から逃げてきたポーランド領にいたユダヤ人に対して、本国に無許可で大量に日本通過ビザを発給したという話があった。「命のビザ」と言われている。約6000人のユダヤ人が米国に渡り、そのことが、米国におけるユダヤ人商工会で噂になり、日本は悪い国ではないというロビー活動につながったのではないかという人物もいる。その話は、真実か否かわからないが、ある意味、日本は、神の国である。

人生における出来事で、一瞬考えれば、それは、やってよかったか、わるかったか、わからないことであるが、しかし、長い目でみたら、その国を助けることになることもある。

 

また、今、MSA資金の補助金システムが今でもあることは、すなわち、第一次世界大戦のドイツを救うために日本が支援して金の輸出、出資したことが、産業支援を活用する財源にも活用されていると考えれば、強運の国日本である。日本は、失われた30年という歴史が過ぎ、次の時代をどう生きるか考える時期になっているが、その時、この財源があるということは、それをうまく活用すれば十分時代を変えることができるのである。

 

日本に残された使用期限は、99年期限付きである。

1954年から99年ということは、1953年までである。数京円という規模になっている原資をもち、PPP運用しながら活用することで、実際には、無限の財源があるに等しい状況になっている。

このMSA資金に関わる人物は、救世主メシアになり、日本から世界に向けて経済発展、貧困の撲滅そして、世界平和に役立てる事ができる人物になりえます。同時に、関係者にも大きな富の分配があります。これが、MSA資金の話になります。

 

最後に、終戦時に、日本の復興を訴えた日本人に対して、その話を聞いて、援助を行うために、本国の国務省に紹介状を書いたマッカーサー最高司令官ことがきっかけになったことも、日本を救ったきっかけになっています。

もし、この声が届かなければ、今の制度がなかったかも知れません。

多くの偶然と奇跡により日本はあります。すなわち、「神の国日本」そして、次の日本を作る努力をするMSA資金を動かす努力をする人物、また、その制度に協力する受託者は、メシアになるべく、世界を変えることでしょう。

 

 

 

※この文章は、ある程度は事実に基づき書いていますが、秘密にされている部分もありますので、小説的に書いています。フィクション的にお読みください。