第二次世界大戦後、日本の戦後復興期に製造業、基幹産業企業に資金提供された皇室の資金、すなわち、橘資金の歴史について調べていくと、その期限は、江戸幕府から明治の新政府に移行するなかで、生じた隠れた歴史が見え隠れします。
幕府軍が最後まで明治新政府軍と戦うことなく江戸城を明け渡したのか?その疑問が、今でも歴史的謎の一つとして言われています。しかし、日本国内で外国勢力の支援によって、始まった内戦に於いて、日本人同士が双方玉砕するまで戦う意味がないことに気付き、さっさと江戸城を明け渡し、その後、民主主義国家を目指し、産業革命を受け入れ、新生日本を作ったということを考えれば自然な流れになります。
すなわち、江戸幕府は、あえて影に隠れて、明治維新を作った若い薩長の下級武士に新しい時代を作らせたということが言えます。
しかし、江戸幕府の金庫番は、英国に渡り、世界金融を影で支える立場として日本の困窮時には助ける私財運用を行っていたということが言えます。
明治以降の新政府が関係した資金ではなく、旧幕府が管理していた私財が、旧幕府の流れを引続ぐ家系が、日本の影の支援者となっていると考えれば、この制度について理解が深まるのではないでしょうか?
150年以上も前に始まった明治新政府、現在の日本の社会システムは、基本的には明治新政府樹立後に確立された制度を継承しています。
しかし、その前には、鎌倉時代以降続く、約680年近い武家社会が存在していました。680年も続いた武家社会がある日突然消えることもなく、日本の表舞台に立つことなく、裏で日本国を支える私財運用を欧州で続けていたということが分かってくれば、この制度に関して非常に歴史のロマンを感じるはずです。
歴史的流れを見ていても、旧幕府の家系が関係していることは事実であり、日本の表の舞台では語られない経済支援を常に行っています。
ある意味、明治以降の新政府が困窮したときに、裏でそれを支えるために動き出すのが、旧幕府の金庫番である家系を引き継ぐ資金提供者が、日本の困窮した社会を助けに入ります。決して表に出ることがなく、影で活動することで新政府を支え続けています。そのことは、現在もなお続いているといえるのです。