昨日は、なかなかMSA資金の歴史を知る上で非常に重要なドラマが放映されました。読者の中でもご覧になったかたも多くいたかもしれませんが・・・
https://video.tv-tokyo.co.jp/yoshidashigeru/episode/00073835.html
このドラマの中で、補助金の話は、一瞬だけ出てきました。デトロイト銀行の頭取でジョセフ・Mドッチが話した言葉です。
「日本の経済は両足を地につけておらず、竹馬にのっているようなものだ。 竹馬の片足は米国の援助、他方は国内的な補助金の機構である。 竹馬の足をあまり高くしすぎると転んで首を折る危険がある」
日本の経済は、補助金に頼った経済であり、収拾がつかなくなっているので、わかりやすくまとめろということを主張しました。その後、特別会計における補助金制度は、整理されていきます。
彼は日本経済を、政府の補助金とくにインフレ下の生活物資への価格差補給金と、アメリカの援助との二つの竹馬にのった竹馬経済と見立て、この竹馬を切るのが自分の仕事であるとした。それは大きくみて三つあった。第一は、総予算(一般会計だけでなく特別会計も含めた)の均衡である。このため、まずシャウプ勧告による直接税中心の税制が確立された。第二は、あらゆる補助金を特別会計分も含めて表面化し、削減することであった。価格差補給金は1949年度予算で大幅に整理削減され、51年度までに全廃された。こうして49年度は超均衡(黒字)予算となる。第三は、インフレの主原因であった日本銀行引受けの復興金融金庫債の発行を停止し、49年度以降債権の回収に専念させることによって、通貨の膨張を抑えた。また、アメリカ援助物資の払下げ代金を新設の「見返り資金特別会計」に集中して、それを復金債の償還原資として運用する措置がとられた。
正式には「米国対日援助見返資金特別会計」という。第2次世界大戦後,日本がアメリカ合衆国から受けた援助物資を国内で売却して得た代金 (見返資金と略称) を一括して経理するために,1949年に米国対日援助見返資金特別会計法 (昭和 24年法律 40号) によって設けられた特別会計。アメリカの対日援助物資の売払い代金をおもな資金源とし,設定当初は通貨安定のため主として公債の買入れ償還を行なったが,50年以降は経済再建を目的に,国鉄や電気通信などの公企業や,鉄鋼,海運,電力などの重要産業に集中的に投資した。その後アメリカの対日援助が打切られたため,53年7月末限りで残余資金を産業投資特別会計に引継ぎ,廃止された。
特別会計の一つであり、民間から集めた資金や一般会計からの出資金などをもとに融資活動を行うために設けられていた融資特別会計。2008年度(平成20)に財政融資資金特別会計と統合されて財政投融資特別会計となった。
産業投資特別会計は、経済の再建、産業の開発、貿易の振興を目的として、国の財政資金をもって投資(出資および貸付)を行うために、1953年(昭和28)に設置された。その前身は1949年に創設された米国対日援助見返資金特別会計であり、これからの承継資産の2294億円と一般会計からの承継資産の1187億円を資本として、産業投資特別会計は発足をみたが、その後、経済援助資金特別会計などの資産も承継していた。
第二次世界大戦後の日本経済復興を目的として、一般金融機関で融資困難な長期の産業資金を供給するため、1946年(昭和21)の復興金融金庫法(昭和21年法律第34号)に基づいて1947年1月に設立された全額政府出資の政府金融機関。復金と略称される。傾斜生産方式に従って、石炭、鉄鋼、電力、化学肥料など基幹産業に集中的に巨額の融資を行い、生産力の回復に大きく寄与した。しかし他方において、その資金の調達を金融債(復興金融金庫債)の発行およびその日本銀行引受け(約64%)でまかなったために、日銀券の増発を引き起こし、インフレーションを招いた。これが復金インフレとよばれるものである。当時は民間金融機関が再建されていないこともあり、復金が資本蓄積の中心にたつこととなり、このため、石炭の設備資金で全体の98%、鉄鋼の設備資金で73%、化学肥料の設備資金で64%、電力の設備資金で93%を復金だけで引き受けることとなった。反面、日銀保有の復金残高は日銀券発行高の33%を占めるに至り、通貨膨張の一大要因となったのである。1949年のドッジ・ラインにより新規貸出を停止し、1952年1月に債権・債務を日本開発銀行(現、日本政策投資銀行)に引き継いで解散した。
その後、日本がサンフランシスコ講和条約に加入後、世界銀行からの借り入れを行い日本の復興の財源にした。そのことは、世界銀行の31プロジェクトがホームページで公開されている。
すなわち、戦後の日本経済の復興の影には、米国に米ドルでの債務保証をしてもらい、日本が資金を借り入れ、日銀が通貨を発行し、その財源の一部を運用しながら復興財源の債務を償還しながら、日本経済の復興を行ったという歴史がありました。
アメリカから資金を頂いた・・・という話は、資金は頂いたのではなく、過去の資料を調べれば、復興用債権を発行してもそれを債務保証していただけなければ、資金調達ができないという状況であったので、当時の政治家、また、アメリカとの工作に関わった日本人は、経済支援を求め、米国を説得し、大きな債務保証を勝ち取ったというのが、正解のようです。そのことにより、日本円を日銀で大量に発行して、国内の内需拡大に貢献下ということです。
現在までその制度からはじまった積立金は、残高を減らさない形で運用される仕組み(PPP)運用を行いながら、産業支援制度に活用しています。 MSA資金の歴史です。