昨日は、総裁選により新しい総裁が選出されました。新しい総裁の尊敬する人は、池田勇人元総理ということです。池田勇人氏といえば、戦後復興期の大蔵大臣として国家の財政基盤を立ち上げた人物として知られています。その後、所得倍増計画をぶち上げて、日本の高度成長を成し遂げた人物です。
なぜ、池田勇人氏がそれが成し遂げられたか?理由は、金融知識にたけていたからです。終戦後、焼け野原になった日本の復興期に、どのようにして日本が復興すればいいのか?思案していていました。米国から日本は、ものを作って、貿易をしなければならない・・・と言われ、その時、池田勇人氏は、米国の財務責任者に訴えたそうです。
「日本は、貿易をして経済を復興しなければ、いけないという話をいいますが、日本は、原材料を購入する資金がありません。米国から綿花を輸入したいとおもっていますが、資金がないので、売ってもらえません。」と話したそうです。
それで、米国が、「そうか、日本が資金がなく、綿花の輸入をしたいということで、購入ができないという理由があるのか」ということを理解を得て、米国政府は、日本政府に資金提供をして、同時に、米国の農業団体に日本に綿花を輸出するように話をまとめたということです。その結果、日本の繊維産業が発展したということです。
また、日本は工業化することを急いでいたために、その財源の確保もできていませんでした。当時、デトロイト銀行の頭取でジョセフドッチが来日して、日本の経済政策の立て直しをしていました。1ドル 360円の固定相場を決めた人物です。一節には、円は、一周360度ですから、1ドルは、360円と決めたそうですが・・・この話は余談ですが
当時ドッジラインという経済政策を行い米国政府からの日本への補助金制度を行っていました。それが、後にできるMSAにつながるわけですが、戦後復興は、金融政策によって如何に成し遂げるか、そして米国と日本との資金の還流と貿易ということで、日本の経済は復興と遂げていきました。
同時に、日本政府にとって、今の特別会計の基礎財源も米国から提案により始まりました。すなわち、米国からの支援された資金により運用により資金をつくり国家運営をするという仕組みです。すなわち、財政投融資の話になります。1951年、日本がサンフランシスコ講和条約の調印後、国土復帰をしましたが、それと同時に米国は日本を支援するために財源を与えて、大蔵省に運用部を作り、そこで、資金を運用しながら財政投融資を行い国家財政を支える仕組みを作りました。
また、1954年には、MSA すなわち、日米相互防衛援助協定における経済支援を米国から得ることになりました。
それが、このブログでも関係する「米国は日本の工業の発展を支援するための財源を贈与する」ということで始まった経済援助資金特別会計法のことになりますが、米国から日本銀行に送金された資金をもとに、日本の工業支援を行いました。また、世界銀行からも日本への借り入れと長期運用により、プロジェクト資金の融資制度を行いました。
このあたりの米国からの支援をうけるための交渉をした人物が、池田勇人元総理になります。
すなわち、米国との関係で金融政策、貿易の発展をすることで日本は、高度成長することができたと言えます。やはり、経済を考える上で、計算がめっぽう早く、数字を具現化する能力に優れていた池田勇人元総理であったからこそこれらの偉業を成し遂げられたと言えます。
日本は、米国の金融政策を活用して、日本経済を発展させてきたということが言えます。それにより所得倍増計画は、実現していくことになります。
この辺の話は、育成資金の歴史の話に繋がりが出てきます。
すなわち、表向きに知られている米国支援の話は、池田勇人氏が行った偉業ですが、それ以外に、昭和天皇が米国とおこなった皇室や財閥資金、また、旧日本軍と関係した資金などが、運用される基礎財源となって日本の工業支援をする制度も、極秘裏で行われました。
これが、かつての償還制度といわれれる日本の企業経営者に資金提供して30年の長期償還制度を設けて、運用組織が資金を運用して資金を償還するという制度です。
これは、大蔵省で行っていた運用部による財政投融資とは、別に、皇室と米国との間で行われた資金提供と運用による償還制度です。
この制度が未だに存在していることになります。
大蔵省で行われた米国からの直接支援制度は、ご存知の通り1968年に終わっています。
しかし、巷で噂になっていた償還制度や、企業育成資金の制度は、存在しています。これは、大蔵省すなわち財務省とは別組織、先程も言いましたが、日本の皇室と米国政府によって、イングランド銀行に信託して運用した資金によって、日本の産業支援を行う制度というものがあります。これが、育成資金です。
この財源が運用益が巨額になっているということになります。池田勇人氏によって作った米国政府から資金調達して大蔵省に運用部をつくって財源を作った制度は、これは、今の特別会計の話になります。
別口で、皇室や財閥の資産を運用したものを提供する制度は、大蔵省(財務省)のものとは別に運用組織及び日本の産業支援制度をつくったということが言えます。こちらのほうが、極秘裏でおこなわれているので、世間では、噂はあるが、本当にそんな物があるのか?という言われる日本の産業支援制度です。
しかし、池田勇人の政府と米国からの援助でつくった経済支援制度は、財政投融資における特別会計であり、米国と皇室との間でつくった資金運用制度、すなわち、企業育成資金の制度と2本の柱で日本の産業支援制度が生まれたわけです。
米国と皇室で作った産業支援制度は、企業経営者個人を対象にして資金を提供する制度で、同時に募集を民間人の代理人を通じて行うことになったために、いろいろ噂が出たということになります。
しかし、池田勇人氏が行った制度の皇室版といえば、容易に理解できます。
すなわち、旧日本体制の財源が巨額にあったので、それを直接政府に与えることなく、分けて運用したということが言えます。
この権利については、財源不足もあり、ときの総理の中でこの権利を政府財源に組み入れたいということで、考えた人も少なくないようですが、これは、一切、政府に直接管理させることはなかったので現在に至っていると言えます。
しかし、この資金については、資金が動いた場合に限り、その資金の中から政府が活用できる財源も作るようになっていますので、この資金をうごかすための理由、すなわち、日本の主要産業の育成資金を受けることができる代表者の名義が必要になるのです。この辺の話は過去にも説明していますが・・・、
現在における所得倍増計画を実現するには、何をすればいいのか?それは、米国から支援制度というものは政府側には、今は存在しないのですが、現在残っているのは、米国と皇室の間でおこなっている産業支援制度になります。
この制度を積極的に活用すれば、かつて、池田勇人氏が行った所得倍増計画の偉業を成し遂げることができます。
結論から言えば、日本は、米国からの支援制度を活用しない限り、劇的な成長を遂げることができない国の制度になっていることに気付かなければなりません。
大きな政府を目指し、育成資金の存在を隠そうとしてきた政府側の動きありましたが、今は、そんなことを言っている余裕がない時代になりました。あるものを活用するということをしない限り、日本の再生などありえません。そう考えれば、我々の活動は、所得倍増計画につなげる民間活動になるわけです。