育成資金について探求をしていけば、日本の工業を支援するための資金ではありますが、日米共同体による安全保障に関する対策費用ということになる。
筆者は、海外生活が長いということを書きましたが、大半はアジアでいましたので、米国には、旅行程度で行くくらいでした。しかし、この育成資金について研究を深めて行けば、米国と日本の戦後史で語られてないない事実がいろいろ見えてきます。
筆者にとっても、この事を考えていけば、米国を身近な存在と考えられるようになってきました。筆者も、考えてみれば、祖母の兄弟は米国に移民しており、多数の親戚が米国本土、ハワイにいます。親族が米国民であります。ここで、筆者の日系米国人である叔父が話していたことを思い出しました。
第二次世界大戦時に米国にいる日系人は、強制収容所に収容されることになりました。しかし、もう一つの選択があったそうです。米兵としてヨーロッパ戦線で戦う軍人として出兵すれば、日系人の強制収容所に入らなくて良かったという話をしていました。
強制収容所に入れられるくらいならば、戦争に行った方がいいということで、ヨーロッパ戦線で戦ったという話を子供のことを聞いた話を思い出しました。
また、筆者の祖父も職業軍人として、第二次世界大戦で戦っており、海軍兵学校の教官も務めたことがありますが、最後は、特攻に所属していたようです。すなわち、筆者の2代先の時代は、親族の中で米国から出兵した日系人、旧帝国軍の職業軍人として特攻として米国と戦った親族と、自らの血筋の中でも大きく運命わける出来事があったわけです。
戦争というものは、たまたま住んだ地が違っただけで、同じ親戚同士であっても敵として戦ったわけです。これは、歴史の悲劇です。しかし、現在は、日米両国が友好関係を築き、交流をもって日米共同体の管理下で育成資金を日本の工業支援のために資金を提供するようになり、日本の戦後の経済発展が成し遂げられたのです。
ここ最近のニュースで、米国大統領が、日系人の強制収容所に米国民であるのに日系人という理由だけで、収容したことに対して謝罪をしたというニュースが流れました。それを見て、ふと、筆者の米国に叔父のことを思い出しました。
そのような話は余談ですが、筆者、自らの親族の中に、日米両国と関係しています。それを考えても、この育成資金に深く興味をもって研究したのは、これはご縁があるのでしょう。